体験談というものは、コンテンツの作り方として作りやすい部類に属しています。
特に自分で体験した実体験に基づく体験談であれば、1個人の感想ということであまり事前調査もせずに書けてしまいますし。
しかし「自分の体験」というのはなかなか客観的に見られないもので、気がつくと暴走しやすいものでもあります。
今回はそんなテーマで、少々脚色を加えた実例を入れつつ書いています。
「私には効いたんだ!」という実体験
知人の紹介でとある方にお会いした際のことです。
相談したいことがあるということで、お話を伺ってみますと…。
「この飲み物をインターネットで売りたいんだ」とのことで。
詳しく話を聞き出すと、どうやら以下のような趣旨だとわかりました。
- 自分は病気だった
- 知人から進められてこの飲み物を飲んだ
- 1ヶ月で痛みが消えた
- 他の人にもこの事実を知らせたい
- これをインターネットで売りたい!
上記だけでも不味い点はいろいろ見えます。
例えば、成分も何も分からない素人が「病気に効く」という売り込みをしたいという点などは明白ですね。
ただ、今回はこの辺りの問題ではなく、この方の思考を問題とします。
具体的に言えば、「自分には効いた」という実体験が真実として揺るぎないものになっていて、その自信に基づく考え方しか出来なくなっている点です。
実体験の否定は難しい
この時はのらりくらりと逃げましたが、その間に行った説得や説明はことごとくはじかれました。
曰く、
- 「本当に効いたんだよ」
- 「今までずっと辛かったのが楽になった」
- 「この喜びを他の人にも伝えたい」
- 「お金は目的じゃないんだ」
- ほか多数
概ね善意から販売を希望しており、悪意もまったくありません。
それだけに自分の体験を信じていて厄介でした。なにを言っても取り合わず「でもね」と盲目的な言葉を並べるのです。
思い込みを否定する難しさは言うまでもないのですが、このように善意が絡むと深刻さは増します。
体験の過信
上記は一例にすぎませんが、私も含めて実体験を過信している方も多いのではないでしょうか?
実体験がその当人以外には影響しない形であれば、その体験を信じて行動してもあまり問題とは思いませんが…。
しかし、その実体験を元に他者に何かをする場合は、改めて書くまでもなく注意が必要です。
自説を強力に主張しておきながら、何かがあった時に「知らなかったんだ」「よかれと思って」などという言葉を吐いて耳を塞いで動かないようでは、質の悪いことこの上ありません。
自信をもって自身の体験を利用すること自体は構いませんが、自身の体験は一例にすぎないことを忘れてはいけないのだと思います。
個人の経験の流布が、誰にとっても良い結果を招く訳ではないのですから。
結び
今回は非常に微妙な内容ですが、「示唆」程度に受け取っていただければと思います。
薬剤や医療に関わることが発端であり、第三者から見れば「これほど明白な状況でも、当事者になれば気づかない」、という問題の良い例だと考えられるためです。
案外、私を含め多くの方が、他人から「なんで分からないんだろう?」と思われている事柄があるかもしれませんしね。
常に気を張る必要はありませんが、微かな違和感があるならば、その違和感の正体を探ることをお勧めします。
結果として、見過ごしていた過信や間違いに気がつくことができるかもしれません。
0人がこの記事を評価
役に立ったよという方は上の「記事を評価する」ボタンをクリックしてもらえると嬉しいです。
連投防止のためにCookie使用。SNSへの投稿など他サービスとの連動は一切ありません。