『デジタルデザインにおける「色あせない」とは』という記事を拝見し、そちらとは少しちがった視点でデジタルなデザインの見え方が浮かびましたので、文章にしてみます。
具体的には「なぜ昔のWEBサイトは陳腐に見えやすいのか」です。
なお、刺激を受けた記事に対する否定や肯定を行うための記事ではありません。趣旨も違う別の記事ですので予めご了承下さいませ。
結論
この記事で提示したい結論は以下の一点のみ。
朽ち果てないから陳腐化する
WEBサイトなどのデジタルなデザインは基本的に時間の経過で劣化はしません。表示する媒体や記録する媒体の状態によっていろいろ変化はありますが、それは時間の経過で自然に劣化するとは少し違うと思っています。作られた当時の見え方を再現することは簡単だと思いますから。
時間による劣化というのは、もっと不可逆なものです。傷つき、すり減り、折れ曲がり、砕かれ、その他もろもろの変化はどうにもなりません。内容は複製できるでしょうが、物理的なそのものを生まれた時の状態に再生することはできないのです。
デジタルな状態であるWEBサイトのデザインは、こういった劣化、すなわち朽ち果てることないから陳腐に見えてしまうのではないかと考えています。
朽ちるということ
物理的なものであれば、必ず時間の経過で朽ち果てます。変化も劣化もしない自然はありえません。建築も絵画も書籍などの人が作り出したものも当然朽ちます。
さらに人や生き物が関わるものには、人が触ることによって時間経過とは違う劣化が生じます。建築はへこんでかけて、絵画は傷つき破れて、書籍は折れて曲がって手あかがついて。時間とともに人がものを朽ちさせます。
人が触れるものが朽ちるということは、過ぎた時間に含まれる多くの物語が詰まっているのです。朽ちていると感じることで、同時に色々なことが心に溢れてくるはず。
何年も前のポスターデザインを見た時、そこには歴史を感じませんか?そのポスターを作った人、見た人、触った人、保存した人、今見える形にした人の存在や意思や背景をぼんやりとでも感じませんか?
つまり劣化により物語が感じられ、デザイン的には古びて見えても陳腐には見えがたいのだと思います。
朽ちないデジタルなデザインは陳腐に感じる
では、デジタルなデザインはどうなのか。
人がどれだけ使っても傷まないデザインは、鑑賞者に時間の経過や積み重なった物語を感じさせることができません。
それゆえに陳腐に見えるのではないでしょうか。または、時代遅れで古くさく、野暮ったく、見にくくみえるのでは?
本来古く朽ちて見えるはずのものが、年月を無視するように色鮮やかに見える。違和感が生まれるだけではなく、同時に安っぽさや幼稚さを感じてしまう。だから、陳腐に見えるのだと思います。これは非常に主観的な問題なのですが、同時に一般的な問題でもあります。なぜなら、この違和感は日常的に蓄積される学習に基づくからです。
なにも難しい事柄ではありません。花は枯れますし、食べ物は腐ります。壁のペンキは色あせますし、電車の手すりには傷が付きます。誰しも日常的に劣化という状態に触れているために、劣化しないものに違和感を感じるというだけです。
古さの表現
建材の処理などでエイジングという技法がありますが、これは古めかしさを出すために手を加える方法を指します。削ったり、傷つけたり、汚したりとその手法はいろいろ。ただ、共通するのは時間経過による劣化を表現する点です。
エイジングと同種の処理はWEBサイトでも可能ですが、薄っぺらくなりやすいと感じます。理由は簡単で、要素を利用しているだけの場合が多いからです。
これは建材のエイジングも同様なのですが、結局のところ時間が加える表現は部分的ではなく全体的なのです。細部に手を加えようとも、全体として古さが表現できなければ違和感が増すばかりです。
その意味では、特定の要素を散りばめるよりも全体の色調を調整して構築する方がよいかもしれません。どこか特定の細部を、ではなく全体を使って古さを演出するわけです。
記憶で古さを感じる
誰しもが感じる古さを感じるものばかりではありません。特定の個人のみが古さを感じる場合はあり得ます。これは、鑑賞者の記憶が大きな要因となります。
特定のものを見ることで特定の記憶が呼び起こされ、同時に懐かしさを感じる。個々人の体験や記憶が強い要素となって、その人だけが時間の流れを情緒豊かに感じることになります。場合によっては、軽々と一般的な感覚を凌駕することでしょう。
この場合、デジタルデータのような朽ちないものにたいしても、朽ちていくものと同様の感覚を得ることができます。例えば10年前のWEBサイトをその当時に見ていれば、10年後に見たとしても、記憶によって呼び起こされた感覚の力で陳腐には感じ辛いはずです。
結び
私は古いものが好きです。古い建物、古い本、古いポスターなどなど。それらを見ても陳腐には思いません。ですが、たった数年前のWEBサイトは陳腐に感じます。
WEBデザイン自体の歴史の浅さも原因になるとは思うのですが、それにしても陳腐に感じすぎるのが気にはなっていました。なぜそう感じるのか…。今回の記事は、その原因を劣化という視点で捉えてみた次第です。
この視点は、そのまま次の結論も導きだせます。すなわち、
今のWEBサイトのデザインもすぐに陳腐化する。
もしもこれがデジタルなデザインの宿命ならば。そういうものとして受け入れて行くべきなのかもしれません。抗う手段はいくつか思いつきますが、少なくとも最新のものを形だけ取り入れるという作り方だけは避けるべきでしょう。そういうデザインは違和感を生み、陳腐かのスピードも速くなる可能性が高いです。
何も、新しいデザインを否定しているわけではありません。使いたい表現を使うなということでもありません。できるだけデザインの陳腐化を遅らせたいなら、ちぐはぐなパーツの寄せ集めは避けて、全体の違和感を無くすように調和を重視するほうがよいのでは、というだけです。
話の方向があちらこちらに飛んでいる気がしますが、共感いただける所はありましたでしょうか?それとも、まったく共感できませんでしたか?どちらであっても、なにかしら感じていただければなによりです。
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